6月25日発売のアートコレクターズ7月号(生活の友社)p.68に特別連載”版画工房アーティー制作の現場からvol.4”が掲載されました。
こちらの記事は、版画工房アーティーが専門に制作する”ジクレー版画(デジタル版画)”を切り口に、様々なアーティストや画廊へインタビューする連載記事となっております。
第4回は画家の篠田教夫先生にインタビューをさせて頂きました。
テーマは「ジクレー版画の現状」についてです。
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記事全文は下記よりお読みいただけます。
アーティー 篠田さんとは一作目の版画「孕む手」を2003年にご依頼頂いて、それから現在まで長いお付き合いとなりました。アーティー設立は2001年。まさにジクレー版画(デジタル版画)の黎明期から現在まで、その変遷の中に作家として立ち会っている存在かと思います。篠田さんはジクレー版画について、どのようにお感じになっていますか?
篠田教夫先生 (以下敬称略) アフリカの未開の地のジャングルでは、写真を撮られると命を取られると思っている部族がいまだにいますよね?それと似た現象がジクレー版画にも起きていると思っています。
アーティー いきなり衝撃的なお話ですね! もう少し詳しく聞かせてもらえますか?
篠田教夫 日本の美術界では、画廊や学芸員含めいまだに「版画をつくると原画の価値が下がる」と思う人が多いですよね。まさに、原画から版画を作ることは、部族の人が「命を奪われてしまう」と思っているのと同じ発想です。でも本当は真逆でしょう。版画が人々の手に渡ることで、多くの人が作品を見る機会が増える。そうすると「この原画は誰が持っているの? どこにあるの?」となり、本来なら価値が上がるはずなのです。
アーティー なるほど。私の知り合いのアーティストが昔このようなことを言っていました。「世界の名だたる巨匠の原画はせいぜい数十枚か数百枚なのに、世界中の人がその作品を知っている。それはなぜか分かるか? この世に印刷物があって、その印刷されたものに人々が触れることで、その作品がこの世にあることを知るのだ。そしてその原画を見たいがために、世界中の人が美術館に押し掛ける。作品が知れ渡り有名になるのは印刷物のおかげだよ」と。
篠田教夫 その気持ちよくわかります。原画はどこまで行っても1点しかありませんからね。その原画も、作家のもとを離れてしまうと何も残らない。この空洞感は結構つらいですよ。
僕は今から20年くらい前にコンビニのコピーに出会ってとても感動してね。あれほどの年月をかけたものが、たったの10円で同じようなものがプリントされてくる。最初は「版画」という発想自体がなかったし、コピーの目新しさが面白かったのだけど、他のものを見ているうちに目が肥えてきた。そうするうちにジクレー版画(デジタル版画)というものがこの世にあることを知ってアーティーさんにたどり着いたわけです。
アーティー 弊社にいらっしゃるまでに3軒回られたのですよね。
篠田教夫 そうです。御社の職人気質の雰囲気が信用できそうだと直感しました。私の場合は版画工房にアーティスト性は求めていないのです。お願いしたことをきっちりと表現してくれる、その職人性を信用しています。
ジクレー版画は今、端境期といえる時期にありますよね。社会の認識が「ジクレー版画=複製画」としか捉えていない。でも様々な材料で描かれた原画と特殊インクで刷られた版画では全く別のものですよね。やはりジクレー版画にはインクで表現された独特の良さがあると感じています。
アーティー 私どものジクレー版画はアーカイバルⓇとして商標登録し制作しています。これは複製やレプリカと捉われやすいジクレーのイメージから脱却したくて、「創作版画」の意味を込めているのです。作家と工房が試行錯誤しながら、版画らしい質感を求め、ひとつの作品として創作しています。複製を超えた芸術品を作家のみなさんと作り上げたいと切に願い挑戦しています。
篠田教夫 アーカイバルⓇとしての自立性を目指されているのですね。これから50年、100年経って、他の版画技法と同じくらいの年月が経った頃、今のジクレー版画ひいてはアーカイバルⓇのありようが問われるのではないでしょうか?
アーティーさんの工房へは、第一線で画家として活躍しながらも、挑戦を厭わない様々な作家さんが版画制作でいらしてますよね。私も含め、そういった方たちが先頭を切ることで、この保守的な現状を切り開いていきたいと思っています。
アーティー 未開の地のジャングルのお話のときはどういった展開になるのかどきどきしましたが、興味深いお話が伺えてよかったです。これからもどうぞよろしくお願いいたします!
(2018年5月 篠田教夫個展会場[永井画廊]にて 構成 版画工房アーティー)